Raison d'etre ( 3 )
コンビニってのは非常に便利なものである。
朝から晩までいつ行こうが店は開いてるし、商品は「ちょっとあれが欲しくて」と思ったものがなんでも揃っていたりする。最初にコンビニを開いた人は偉大だと思うね。それだけで人類は随分文化的に進歩したんじゃないか。
「おおあったあった」
インスタントの食品類が並べられた棚に目的のものを見つけて籠に放り込む。レンジでチンすれば簡単に出来るとかいうお粥だ。古泉の家を出るときに確認したがレンジは置いてあった。まあ、総菜とかコンビニ弁当とかの世話になってるんだったら必需品なんだろうし、ないとは思っていなかったが。お粥の味は適当に選んだ。あいつの好き嫌いなんて俺は知らない。嫌いだからだとか文句を言いそうには思えないのでよしとする。というか、文句を言える立場じゃないだろうとむしろ言い返してやる、その時があれば。
飲み物の棚も見て、スポーツドリンクを一本選んで籠に入れる。熱を出してる時は汗をかかなきゃならない。そして水分の補給も大事だ。水よりはこういったものの方が水分吸収はいいし、あって困ることもないだろうと1000mlのものを入れた。あとは適当に自分が食べるパンやらも。パンは兎も角他の代金は後できっちり古泉に払って貰うつもりだ。俺は市内不思議探索パトロールの度に出費がかさむ貧乏高校生なんだからな。
精算を終えて店を出ようとしたところで、薄暗さの増した空から雨が降り始めていることに気がついた。びしょ濡れになるほどではないが、そのまま歩くには少々躊躇うほどには降っている。しかも雨脚はまだ強まりそうに思えた。
帰るときにも必要になるからいいか、と出口付近に置かれたビニール傘を一つ手に取り精算をするために俺はまた店の中に戻った。
「──────おかえりなさい」
チャイムを鳴らすのも面倒だと思って無断で家に上がり込み古泉が寝ていた部屋のドアを開けると、丁度起きあがっていたらしい古泉と目があった。古泉は俺を見た目を一度見開いた後─────視線を逸らすみたいに笑ってそう言った。
「……、何を、している?」
「…………」
「古泉」
重ねて問うように名前を呼んだ声は、自分でも思う以上の怒気を孕んでいたんじゃないだろうか。先刻までコンビニに行くがてら冷め始めていたなんともいえない苛々したあれが、明らかな怒りとなって沸点すれすれまでせり上がってきている。
だってそうだろう。こいつは、ろくにベッドから起きあがる気力もない病人のくせに──────外出でもするつもりなのか衣服を整え上着を羽織っていたんだ。
常なら嘘と誤魔化しが特技のこいつも今回ばかりは逃れられないと思ったのか、はたまたそれが出来るほど頭が回転するエネルギーも残っちゃいなかったのか、視線は逸らしたままに小さく「出かけます」と答えた。
イラ、とまた、頭の隅で何か音が鳴る。
「見ればわかる。お前はそんな状態でどこへ行くつもりだと言って居るんだ。寝てろ」
「折角来て下さったのに申し訳ないのですが」
「うるさい黙れお前の意見なんか聞いちゃいねえ」
問いつめてるんだか黙らせたいんだか言ってる自分でもよくわからない。一つはっきりしているのは古泉が非常にむかつく奴だという事実だけだ。
少しばかりやつれたと思わせるような顔色の悪い状態で古泉は息をついた。仕事ですよ、と。
それはつまり古泉曰くこの世界を創造した神様の不機嫌メーターがはね上がったときに、それを解消するために灰色空間────それをこいつは閉鎖空間と呼んでいる────が形成され、その中で光る巨人を暴れさせるという傍迷惑すぎるストレス発散状況を現実世界に影響を及ぼさないように丸く収めることを示している。それはわかっている。だが俺は敢えてなんだそれ、と笑った。しまった、こいつのようにうまく笑えない。
「あいつの機嫌が悪かったなんて俺は思わなかったぞ」
嘘も大概にしろ、言外にそう含めると見透かされたのか嘘じゃないですよ、と古泉は苦笑した。
「今日涼宮さんにどんな心理的変化があったのか会っていない僕は判断しかねますが…そうですね、僕が原因なのかもしれませんね」
「アホか。あいつは具合の悪い団員の心配はしても理不尽にそのことに腹を立てたりなんかしないだろ」
「ええ。僕もそう思います」
一度空を見るように目線を上げて間をおいて、古泉は笑った。しかし閉鎖空間は発生してしまいました、と。
「兎に角呼び出しがかかっているので対処に向かいます」
なんでもないことのように、身支度を整えた古泉が俺の横を通り過ぎる。俺は空気か。苛ついた音がまた一際大きく頭の中で鳴った気がした。通りすぎざまに古泉の腕を掴む。振り向いた古泉がいつもの笑顔を形成するより先に目線を合わせて低く呟いた。
「行くな」
合わせた琥珀色の瞳が、笑顔のペルソナをつける機を逸したように戸惑った光を浮かべる。よし、そのままちゃんと俺の話を聞け。
「お前は今自分じゃそうは思ってないだろうが意外と体調不良で熱まで出してて歩いてる足下も結構フラフラだったりするんだよ。機関とやらは閉鎖空間一つ処理するのに病人も担ぎ出すほど人員不足なのか? だったらそんなとこやめちまえ。お前がどうにかなった日にゃハルヒが大暴れするぞ」
どんだけのアルバイト代貰ってんのか知らんが──そもそもアルバイト代が発生してるのかも怪しい──そこまでこいつは機関に従順である必要があるのか? その内殉職しかねんな。まあそんなこと古泉のことをこれっぽっちも知らない俺が言っても説得に欠ける。
それに俺が言いたいのはそんなことじゃない。
「病人はおとなしく寝てろ」
真剣味を伝えるために、そう、なるべく低い声で最後に付け足した。
ここで、こいつがまたあの仮面をつけて笑ったなら。
俺は一回キレてたかもしれん。
自制心が働かないくらいには結構音は大きくなっていたからな。
だが予想外にも古泉はいつもとは違う────仮面とは似ても似つかないような笑みを浮かべた。自嘲しているような、口元の歪みをうまく消せない笑い。
「それはどういう意味ですか」
返ってきた言葉に俺が目を見開いた。
どういう意味も何もそのままだろうが。俺はお前みたいに回りくどい言い方をした覚えはない。
「…では、あなたは随分酷い人ということになりますよ」
何がだ。わけのわからん物言いをするのはお前の得意分野すぎるんだよ。俺はただ言っただけだろう。病人は寝てろと。
「そのまま行ったら間違いなく頭打って怪我だな。それをわかっててどうして止めない奴が───────」
いるんだ、とあとはそれを言うだけだったのに。俺の言葉を遮るように「黙って」と掠れた声が紡いだ気がした。
勿論それに素直に従ってやるつもりなどなかった。だというのに、言葉は唐突に途切れた。
声を、音を出す、空気を震わせるはずの唇を、塞がれた。
何で?
理解するより先に押しつけられていた柔らかなそれが離れて、熱のこもった吐息が唇に触れる。目の前のAランク美形の長い睫毛が震えて琥珀の眸がうっすら開かれるのを見て、いつも通り顔が近い息がかかってるなんて罵倒できたらどんなによかったか。しかし生憎俺の思考はブレーカーが落ちたときの電化製品みたいにぷっつり機能停止してしまっていた。
いつもより間近の美形優男はいつも浮かべる笑顔とはほど遠い、笑おうとして笑いきれない歪んだ顔を浮かべて吐息をついた。
「閉鎖空間の処理は僕の使命です」
まだ言うか。それがどれだけのものだ。お前に何かあったら────そんなもの、全部なくなるんだぞ。機能停止した頭でも条件反射は出来るらしい。ただ、それは頭の中でくり返されるだけで、目の前のむかつく男に伝わらない。
「…いえ、存在理由ですね。その使命があるから僕はここにいる」
存在理由とまできたか。話をややこしくするな。もっと単純に考えろ。ああなんだかこいつを思い切り殴りたくなってきた。
「だから」
だからなんだ。これ以上莫迦なことを言ったら殴る。絶対にだ。
先を言い淀むように8センチ高い頭が、力をなくしたように俺の肩口に沈む。顔が見えない。吐息に、そのまま声を乗せるように。耳元で古泉が囁いた。
「…だから、あなたの側にいられる」
金属扉が悲鳴を上げるように軋む音を立てて閉まる。一度開いたドアの隙間から、雨降り独特のアスファルトの匂いと先刻より本降りになってきたらしい雨の音が聞こえた。
─────古泉は、出て行った。
止める隙もなかった。というより、動けなかったのか。俺が。
あいつがあんなことを囁いて、結局最後まで顔を上げずに出て行くのをただ何も言えずに見つめてたなんて。どこの少女漫画的展開だそれは。
殴るべきだった、殴って無理矢理止めるべきだった。そして実際俺は直前までそうしてやろうというつもりだったんだ。なのに。
できなかった。
『それが僕の存在理由です』
『だから、あなたの側にいられる』
殴れなかった。そうすれば止められたかもしれない。けど、それは俺の我が侭だ。自分勝手で身勝手な。
あいつの笑おうとして笑えない、歪んだ顔。あの真摯な言葉に応えられる何かを、俺は持っているのか?
頭の中で響く音がもうガンガン騒音になり始めている。─────いや、違う。これは携帯の振動音だ。
習慣のようにノロノロと自分が置きおっ放しにしていた鞄の中から煩い携帯電話を取り出す。着信ではなくメールの受信だった。内容を見て、グラリと視界が回るような嫌悪感を覚えた。
『送信者:涼宮ハルヒ
連絡入れなさいって言ったでしょ!
古泉君は大丈夫なの!?』
用件だけの簡潔な文章。よく見れば、着信履歴も数件あった。
原因は、俺か。
確かに、部室を出る際にハルヒのそんな言葉を聞いた気もした。あいつにとっちゃ大切な団員の見舞いを俺に妨害された上、心配でたまらないのにそれすら解消されないモヤモヤ状態だったわけだ。大きな、というわけではないだろうが、俺に多少なりとの苛々と例の閉鎖空間を発生させてしまうほどには。
滑稽にもほどがある。腸が煮えくりかえるなんて言葉があるけど、それは頭にも通用するんじゃないかと思ったね。今の俺の頭の中が丁度そんな感じだ。
頭の中でビービー鳴り続ける警鐘にも似た苛ついた音をかき消すように握った拳をフローリングの床に叩きつける。じわりと痛みが手の内側に広がったが気にならなかった。それよりも自分に対する嫌悪感の方が気持ち悪いぐらいにあった。ここまで自分に怒りを覚えたことはそうそうない。
「………っ」
過ぎたことを悔やむよりは今はハルヒに連絡を取って平謝りするべきだ。
そう、思う。
だけど。
肩口に沈んだ古泉の頭が、服越しにもわかるほど熱っぽかったのとか、喋るのも辛そうに掠れていた声とか、そういうのが頭をぐるぐる回って。
俺は、外の雨音が強くなるのを暫く呆然と耳にしていることしか出来なかった。