Raison d'etre ( 2 )

「意外だ」
長門の素っ気ない明朝体で書かれた住所と睨めっこしながら辿り着いた先にあった建物は所謂集合住宅ってやつだった。まあ一人暮らしなんだからそうだろうとは思っていたさ。ただそれが、長門のような高級マンションではなかったことに思わずそう言ってしまったのだ。
長門はともかく、古泉だって『機関』という後ろ盾があるんだ。それなりに高いところに住んでるんじゃないかと思っていたのに、今目の前にある建物は至って普通のマンション。長門の家とは違ってオートロックもない。『機関』はそんなに経済的に困窮している状態なのかね。
メモに書かれた部屋番号を探してコンクリートの階段を上る。灯りのない階段は陽が届かず薄暗い。二階の部屋の番号を一つずつ確認して、一番奥まで来たときにその部屋はあった。名前のない表札。だが、長門の書いてくれたメモと住所は一致する。
ああ着いちまったか。
無機質な金属扉を目の前に浅い息を吐き出す。
面倒だ。なんで俺がこんなことをしなくちゃならない。見舞いなんて行ってきたと言って誤魔化してしまえばよかったんじゃないだろうか。なのにこんなところまで来てしまって。
思わず回れ右しそうになったところで、右手にぶら下げたコンビニ袋がカサリと音を立てた。
朝比奈さんに持たされた風邪薬と、さっきコンビニで買ってきた冷えピタだ。それを見て、朝比奈さんの笑顔と長門の小さな声と、おまけにハルヒの元気の塊みたいな命令口調を思い出した。──────朝比奈さんと長門は兎も角、ハルヒにバレたらその後が怖い。
記憶にこびりつく命令口調に「罰金!」という言葉が足される前に俺はインターホンを押していた。
チャイムの音がドア越しに部屋に響くのが聞こえる。確かに鳴った。たが、少し待っても応答はなかった。
って、今更だがそういう可能性を考えてなかった。そもそもあいつは風邪ではなく『機関』の用事で学校を休んでいるんだ。家にいない方が普通なんじゃないか。だから見舞いにはくるなと言ったんじゃないか?

─────莫迦か俺は。

せめて電話で確認してから来るべきだった。ハルヒのあの勢いに押されてすっかり忘れてたがな。仕方ない、後で口裏を合わせてもらうためにとりあえず置き手紙代わりのメールを入れて、薬と冷えピタはドアノブにかけて帰ろう。どうせこんなもの、二階の端っこの部屋まで来て盗むような奴もいないだろ。
右手からドアノブにそれをかけようと手を伸ばす。だけど、ノブに力をこめるとそれがカチャリと音を立てた。次いで小さく軋んだ音を立てて金属扉が外側にずれる。────つまり、無人のはずの家の扉が開いてしまったのだ。

─────なぜ鍵をかけていない。

あの用意周到なニヤケスマイルにしては珍しくないか? と開いてしまった扉を目の前に疑問符がよぎる。だがその疑問はすぐに俺の頭から霧散した。明かりが特に入っているわけでもない玄関は少し薄暗い。誰もいないような見た目とは裏腹に、なぜか部屋の中に人の気配を感じた。
よく考えてみたら、鍵をかけてない理由なんて普通家主が家にいるからだ。鍵をかけていることはあっても鍵をかけていないことなんて、いるからに他ならない。ただ、かわりにじゃあなんで応答がなかったのかとか、今どうして部屋に人の気配はあるのにこんなに静かなんだとか疑問が浮かび上がる。まるであれだ、何日も無断欠勤をしている単身赴任の同僚の家を訪ねて遺体第一発見者になっちまう、そんな状況に似てる。まあ遺体があるなんて思っていないけどな。それこそハルヒが望んじゃいないし、あいつも簡単に死ぬような奴には思えないからだ。
「古泉?」
了承も得ずに、ではあったが中の様子が気になって申し訳ないが勝手に上がらせて貰った。
上がってすぐが台所らしく流し台があった。一人暮らしらしく洗われていないままの食器が山積み、なんてことはなかったが、そのかわりコンビニ弁当の空容器とか、一回使っただけだろう割り箸なんかが適当に放り込まれた袋がその辺に置かれていた。なんというか────人が住んでるのはわかるのに、長門とは違った意味で生活感がない。そう思うと、なぜか言いようもない気持ちに駆られた。なんだろうな、頭の隅で、音が聞こえる。
隣に置かれた冷蔵庫の奥に居間に続きそうな扉がありそこを開けると、その部屋も雑多なもので溢れていた。適当に山積みにされた洗濯物、机にはノートパソコンの他に筆記用具とルーズリーフが散らばっていて、その下に行き場を失ったように所在無さげな教科書類がとりあえずの形で平積みになっている。家具はその机と、造り付けの台に無造作に置かれたテレビ。あと部屋の奥にあるベッドだけのようだった。

そして、そこに横になった古泉一樹がいた。

「いるなら出ろよ」
小さく呟くが返事はない。代わりに返ってきたのは規則正しい寝息だった。
なんで寝てるんだ。風邪ってのは出まかせだったんじゃなかったか? まさか電話をしてからの数時間でインフルエンザにかかって発症したとでも? ありえないだろ。ただ騙そうと寝ているだけか?
沸き上がる疑問を声にすることを抑えて顔を覗き込むと、その顔はいつもより血の気が薄く、具合が悪そうといえばそうとしか言いようがなかった。
冗談にしちゃ顔色が悪すぎる。──────まさか本気で?

「………古泉…?」

声をかける。
額にかかる前髪をよけて熱でも測ってみようかと思ったとき、不意に長い睫毛が震えて、色素の薄い眸がうっすらと開いた。ぼうっとしたただの寝起きの顔だというのに、どっかのアイドル雑誌の見開きでも飾れそうなきまり具合だ。いけ好かん。
古泉は数瞬俺を見上げて目を瞬かせて、その後「え?」と疑問符をいっぱい浮かべた顔をして起きあがった。おお珍しい。
「どう、してあなたがいるんですか…まさか涼宮さんも!?」
「安心しろ。連れてきていない。というか、行くなと行ったら俺が行く羽目になったんだ。面倒この上ないことにな。貸しをもう一つつけたいくらいだ」
そのぐらいの厭味は言ったって許されるだろう。俺の言葉に古泉はゆっくり意味を理解したようで緩慢な動作で、考えておきましょう、と笑った。
その顔色が、薄暗い部屋だからなのか、やっぱり悪い気がする。蒼白とまではいかなくても、健康色をそぎ落としたように白い顔をしているのだ。機関の用事だったんじゃないのか?と、言外になんで寝込んでるんだと含ませて言うと、古泉はやっぱり笑ったままそうですよなんて言いやがった。何がそうですよだ、俺には寝込んでいるようにしか見えん。
「用事はあったんです。ただ、そのあと予想外に熱が出てしまったために寝込んでいただけですよ」
そう言う笑顔はやっぱり崩れない。それが本当か嘘か悟らせない完璧なペルソナ。
─────多少納得しかねる部分はあるのだが、別にそれの真偽なんか構ったことじゃない。俺がこれ以上不利益を被る事なんてないだろうし。ただやるべきことをやるだけだ。
「これ、土産。ハルヒたちから」
持たされた荷物をコンビニ袋ごと古泉に突きつける。冷えピタは丁度いい。薬は、とそれを取り出してそういえばこいつ飯は食べたんだろうかと思った。流し台にあったのはコンビニ弁当の空容器ばかりだ。枕元には何かを食べた形跡がない。問えば、面倒で寝ていましたなんて古泉が答えた。やっぱりな。
「…わかった。とりあえず、なんか食べれるもの作ってやるから」
「作る? あなたが? ここで?」
「なんだよ作れないとでも思ってるのか?」
「…いえそうでは────いえ、作れないでしょうね」
「失礼な」
「違うんです。そういう意味ではなくて」
「は? 何だよ」
「物理的に無理なんですよ。ここにはコンロはあっても鍋がありません」
だから無理でしょうと笑って、だけどひどく真面目に古泉はそう言った。
なんだそれは。お前仮にも一人暮らしをしていて鍋がないって…ああだからあの台所にはコンビニ弁当のゴミばっかり…って言いたいのはそういう事じゃない。不便だろうが。いくら一人暮らしでそういうのが億劫だからってお湯ぐらい沸かせないとカップラーメンも できないだろう、という意見には湯沸かしのポットがありますからともっともな意見が返ってきた。火を使うよりは確かに安全だ。ってだからそうじゃなくて。
「おま…、なんだそれ」
「必要ないでしょう? 鍋がなくたってなんとか生きていけるものですよ」
「いけないものだろうが普通は」
多分────あの台所のゴミから察するにコンビニ弁当だとかインスタント食品だとか、総菜とか外食とかそう言ったもので今まで過ごしてきたんだろうな。文明ってのは凄いもんだ。俺が一人暮らしをしてもそうならない保障はないが、それでも栄養が偏るだろやめろ、くらいは思った。金もかかるだろうしな。
そして普通そんな生活が成り立つのはホテル暮らしぐらいだ。そう思うと、先刻頭の隅で鳴った音がまた聞こえた気がした。
「…ああわかった。じゃあなんかそこらで買ってくる」
「インスタントならありますけど…」
「寝込んでるやつがインスタント食品食ってどうする。それよりはマシで鍋を使わないで食べられるものぐらい買ってきてやる」
そうでも言わないとこいつは適当なインスタント食でも食べそうだった。健康に気を遣う気はないのか。
とりあえず張っておけ、と取り出した冷えピタを古泉の頭に押しつけると、それを目元に押しつけたまま、古泉はぎこちなく笑った。 ご迷惑をおかけしてすみません、と謝って。
それを聞いて、また頭の中で音が鳴った気がした。しかも今度はカチンって音付きだ。カチンってのはどんな音だよと疑問に思われるかもしれないがそれは簡単に説明が出来る。あれだ、漫画でよくある表現。
──────苛ついた時に使う擬音。

「貸し二つ、決定」

吐き捨てるように言って、俺は古泉の部屋を出た。


なんで、謝るんだ。

苛々する頭を無理矢理無視するように早足で道を歩く。
それでも、先刻の古泉のぎこちなく笑った口元と、すみませんと謝った掠れた声は記憶に鮮明に残っていた。

莫迦か。阿呆か。

心内だけでとりあえず罵倒する。超能力者ならこのぐらいの罵倒、テレパシーで受信してみろ。マジで。
だってそうだろう。そこで謝るか? 普通。
普通は──────。

──────普通そういう時は礼を言うもんだろ。

腹の底のあたりが焼け付いてぐるぐると気持ち悪くなるような、そんな錯覚を覚える。

「…、巫山戯るな」

小さく舌打ちをするようにそう言って。歩く足を早めた。

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