「機関の中から僕が選ばれここに転校してきた理由、わかりますか?」


いつだったか。
いつものように古泉と向かい合って部室机でオセロをしていたときのことだ。あいつは唐突にそんなことを言った。

パチンと、固い音を響かせて古泉が指先だけで白いオセロの石をひっくり返す。黒に囲まれたのはたったの一枚。それを返して、長い指先はまた定位置に戻ってゆく。
古泉、お前本当に弱いな。なぜ右下の外側を固めようとしないんだ。
そうは思ったが俺は敵に情けをかけるような真似はしない。相手があの朝比奈さんなら兎も角、古泉なら尚更だ。
容赦なく空いた右下を攻めると古泉が「おや」と苦笑する。

「理由なんて知るか。転校できる奴がお前しかいなかったんだろ」

五枚一気に自分の白へと変えた俺はそれをゆっくり返しながら答えた。
年齢が適齢だったとか、編入試験に合格できる学力があったとか──むかつくことに実際こいつはそれだけの学力があるのだ。現在編入試験に合格した上、頭が痛くなるような理系クラスに所属している。──まあ理由は色々あるだろう。
だが、盤面に視線を注ぐ古泉は、アタリに近いようでそれは違うと言った。
「確かに、それはあります。ただ、その条件が揃っていたのは僕だけじゃありませんでした」
古泉はひとしきり盤面を眺めたあと、次の答えを求めるように目線を上げた。
聞くなそんなこと。わかるわけないだろうが。
鬱陶しそうな視線を投げると、古泉は苦笑して、次の一手を盤面に置く。今度は右の辺を三枚ひっくり返した。
それを返し終えて小さく息を吐く。
長い指先は定位置には戻らず、肘を立て顎を支えるように添えられた。
そうして、そのまま解答を口にする。

「偶然、ですよ。本当は、誰でも良かったんです」

手元から石を一枚取り出したところで、俺はその言葉に思わず手を止めてしまった。
盤面から視線を上げて、向かいに座る古泉に目を向ける。

古泉は、笑っていた。

いつもと同じ、ニヤケスマイル。
胡散臭い感情の読めない微笑。

「たとえば、僕以外の誰かがここにいる可能性だってあるんですよ。いえ、それ以前に、この力を与えられたことだって、僕じゃない誰かだった可能性の方が大きいんです。数ある運命の悪戯の一つですね。僕はその選択肢一つで、此処に存在している」
淡々と述べる言葉は、いっそ長門のように抑揚を含まないものであったならと思う。
だが違った。
こいつはいつも通りの顔で、何事もないようにそう言ってのけたのだ。




























一日の授業終了の鐘が鳴り響き、担任教師の面白くもないHRの話を聞き、掃除当番でもない俺はクラスの友人と二言三言話して荷物をまとめた後、部室棟へと足を向けた。もはや習慣となっているがために、意識もせずに足はさっさとその部屋に向かってしまう。目を瞑ってでも障害物にぶつかることなく、目的地に到着できるだなんて超人じみたことも、今ならできてしまうんじゃないかとうっかり思ってしまうくらい、それは日常であった。
そしてそこまでがいつもの日常だった。


目的地の前に辿り着いたとき、俺は珍しいものを見て思わず足を止めてしまった。

「長門、どうしたんだ?」

長門が部室にいることは珍しい事じゃない。ならば何が珍しかったのかというと─────長門が部室の中ではなく扉の前にいたことだった。しかもそれが、ドアに鍵がかかっていて入るに入れないから困っているというものではなく ( そもそも鍵がかかっていようがいまいがそんなこと長門にとっちゃ特に困るような出来事でもないだろう。万能有機アンドロイドならどこぞのスパイ映画の主役よりも容易く解錠できる ) 扉の前に寄りかかるでもなく棒立ちになって、見るたびに難解さを増しているような分厚い本を片手にそのまま読書をしていたからである。
長門は俺の声に気づいてふとその本から目を上げると、俺の問いに答えるように部室の方へ目をやり、また俺に目線を戻した。

長門の無言と目線。
中に、何かあるらしい。

長門が対処できない何かってなんだよ、と思いながらもついいつもの癖で扉に軽いノックを響かせる。
答えるような律儀者はいないだろうと思っていたが、意外なことに中からは「どうぞ」という声が響いた。
しかも聞いたことのある声だ。扉一枚隔てていたって嫌でもわかる。
高すぎず低すぎず、人に警戒心を抱かせない穏和そうな声─────でありながら、その声は一旦「たとえば」を始めるとわけのわからん曖昧喩え話を長々喋り出すことを俺はよく知っている。
あいつの喩え話の被害に一番遭ってるのは俺だからだ。

「古泉、お前か」

なんで長門を追い出したりなんかしてるんだと非難めいた声で扉を開けて───────すぐに俺は時を止める魔法にでもかかってしまったかのように固まってしまった。

中の人物は部室唯一の窓から指す日差しの逆光を受けて影になってはいたが、そこにはよく見知った背丈の奴が居た。古泉本人だろう。
にも関わらず俺が固まってしまったのは───────。


が、くラン…?


そいつはよくある濃紺でも、ましてや白や意表をついて赤なんかでもなく、黒い学ランを着ていた。
言っておくがうちの学校に学ランの制服はない。俺の知る限り。
故に他校生かと思いきやそうでもなく、予想に違わず目の前にいるのはよく見知った顔の男だった。


SOS団副団長、古泉一樹。


だからこそ、俺は息を呑んで固まってしまったのだ。

思い出しただけで、氷塊が背筋を景気よく滑るようなぞっとした感触がする。
学ランを着た古泉一樹に、俺は見覚えがあった。
それがよくあるデジャヴなんかじゃなく、師走も真ん中を過ぎたあたりにはっきり体験した俺の記憶の中で、だ。
思わず部室内を見回して、そこが普段自分がよく知る部屋であることを確認してしまう。

窓の真正面に据えられた机に載せたパソコンは、年代物を感じさせるような古い型のものではなく最新のもの。
そのすぐ横に置かれた三角錐と書き殴った『団長』という文字。
秋にインチキ戦法にもめげず見事勝利したゲームの景品としてお隣さんからゲットした四台のノートパソコン。
部室専用エンジェルのこれまた専用衣装を大量に引っかけた衣装ラック。
他にも、コンロ、ストーブ、扇風機、最初から置いてある長門専用本棚。

それらは俺の記憶と一部の違いも見せずそこに、いつもの通り置かれていた。

「どうしたんですか?」

挙動不審な俺に、そいつが素直に疑問符を投げてくる。
丁度袖を通したところだったのか、黒い学ランのボタンをその長い指先が留めているところだった。
いや、なんでもないと呟いて、俺は部室の戸を閉めた。
吹き出た冷や汗が引いていく。

問いかける古泉の声は、警戒心を含ませた固い声音ではなく、よく知る穏和で心地の良いトーンのそれだった。

こいつは古泉だ。

俺のよく知る、超能力を使って無駄に長い喩え話を聞かせる、あいつだ。

安堵したと同時に脱力した俺は、そのまま古泉の向かいのパイプ椅子を引いて腰掛ける。こいつの向かいに座るのもいつもの癖だ。
「なんの格好だ、それは」
問うた声には些か不機嫌さが混じっていたのだろうか、古泉はボタンを留めていた指を休めて一度瞬きをした。
「衣替えですよ」
「なんのだ。学ランなんてうちの学校にはないぞ」
一秒前から学ラン指定になったのでなければな、と付け足すと古泉は小さく笑った。
「いえ、涼宮さんに言われまして」
古泉曰く、ハルヒの着せ替え遊びが自分にも飛び火したのだそうだ。

──────三月っていえば卒業よね。卒業って言えば袴、女学生! みくるちゃんに袴姿になってもらわなくっちゃ。ああでもそれなら学ラン男子もいた方がいいわねぇ。

「で、たまたまそこにいたお前が名指しにされたと」
「光栄の限りです」
本当にそう思ってるんだかどうかよくわからない顔で古泉は答えた。
愚直に学ラン男子になってるあたり、案外楽しんでいるのかもしれないが。

モヒカンにされるよりはいいよな。

文化祭後の思い出すのも恥ずかしいあの衣装に比べればまだ一般的ってもんだ。
年齢的にも学ランを着ておかしい年齢ではないし、一度『本物』を見ている俺としては、学ラン古泉はハマりすぎているような気さえした。
─────勿論それは嫌な意味で。
その俺の反応を気取ったのか。


「驚いた顔を…されていましたね」


カタンと、小さく部室机が軋む。
気が付けば、落とした視線の先、机の上に窓からの日差しを遮るように影が落ちていた。
そうして、そこに置かれた長い指先を見て、いつの間にか古泉が隣に立っていたのだと気づく。
今日は割と天気がいい。
夏の灼けつくような日差しほどの強さはないものの、天から差し込む陽光は明るく、逆光になった古泉の顔を少しばかり翳らせる。

それが───────不愉快だった。

「別に」

自分ではいつもの調子で答えたつもりだった。何がいけなかった、とすら思う。
だけど───────。

思わず逸らした視線。

それだけで、古泉には充分だったらしい。

「………っ!」

机に置かれたままだった長い指先が、その繊細な動きとは裏腹な強い力で俺の腕を引く。
文句を言う暇もなかった。
無理矢理椅子から立ち上がらされた俺はそのままバランスを崩し、古泉に倒れかかった。それがまたむかつくことにこいつの意図する通りだったんだろう。体勢を立て直す隙も与えず、長い腕は俺を拘束し、8センチ分余った頭は俺の肩口にコトンと落とされた。

「こ、いずみ…!」

離せ馬鹿野郎と暴れると、更に強い力で拘束された後、嫌ですと耳元で囁かれた。

─────その声が。

近いとかそういう問題じゃない。いやそれも大いにあるにはあるのだが、そうじゃなくて。

掠れるような小さな声音のくせに、どこまでもきっぱりと我を通そうとする強いもので。
抵抗しようとしたそばから、その力を奪った。

くそ、なんなんだ。

そうは思っても声すら出せない。
抵抗しようとすればしただけ、報復を喰らうとわかっているから────いや、違う。俺は素直に力も声も出せないような状況に陥っていたのだ。忌々しいことこの上ないが、こいつの懇願とも命令ともつかぬ『離さない』という意志に俺は縛られていた。
悔しいと思いながらも動くことができないのならばそれ以上どうしろというのだ。
俺は古泉が次にどう出るのかを窺うことしかできなかった。
そうして暫く、古泉は俺を拘束したままだったが、どれだけ時間が経ってからか───実際はそんなに経っていないんだろうな───肩口に押しつけていた額を離し、吐息を吐くような声で言った。

すみません、と。

「何が」
「あなたを不安にさせた。そうでしょう?」

肩越しに、古泉がそう確信めいた声で言う。
瞬間過ぎったのは前に聞いた、古泉の言葉だ。

──────『誰でも良かったんですよ』

自分の存在を、いとも簡単に否定して。
客観的にそう述べるあいつの顔はどこをどうやったっていつもと変わらない笑顔だった。

そして。
それに無性に腹立った自分が居た。

「気づく、べきでした。向こうの僕は学ランを着ていたんでしたね」

顔を完全に上げたのか、古泉の声が耳元から遠ざかる。
学ランを着ていた『向こうの古泉』、それは、俺がSOS団のメンツを全て喪失した──────宇宙人も未来人も超能力者も存在しない世界での『古泉』のことだ。
学ラン姿は、確かにあの『古泉』を想起させた。
別に不安に思ったりなんかしていない、と言ったところでどれだけ説得力があるだろう。少し考えて俺はすぐに駄目だな、と思った。学ラン姿の古泉を直視できずに目を逸らしてしまった時点で、そう自白したも同然だった。

「───────すみません」

間をおいて、もう一度その言葉が届けられる。
そう言う古泉は、今どんな顔をしているのだろう。
肩越しにはその表情は欠片も見えはしないが、なぜか俺は今古泉がいつものニヤケスマイルなんか浮かべていないんじゃないかと思った。声がいつものそれと違って、壊れ物を扱う指先でさえ触れるのも躊躇われるような弱々しさを孕んでいたからかもしれない。
だから、まぁ。
懺悔するというのなら許してやろうという気になった。ついでに理不尽極まりなく拘束されているこの状況も。

──────勿論、厭味一つで。

「お前、学ラン全然似合わねぇよ」

少しの、間。
息を殺すような気配。

返答は────────なかった。
というより、聞けなかった。

閉めていた部室扉の向こうで、我が団長様のけたたましい声が高らかに響き始めたからだ。俺と同じく長門に疑問符を投げかけるその声を聞く頃になって、俺は長門を外に出したままだったということに気づいた。恐らく長門は古泉が着替えるために席を外していたのだろう。しかし長門はともかく我が団長様はどうなんだ? あいつに人に気を遣うという概念はあるのか? 否、あるわけがない。
鍵もかけていない扉は数秒と保たず開けられるだろう。
慌てて古泉の肩を押し返そうとして腕に力をこめたが、古泉がすぐに離れたおかげでそう力を入れずともすんだ。
離さない、と言ったときとは裏腹に。
その直後、まさに紙一重の差でハルヒが部室に殴り込みでもするかのような勢いで扉をぶち開けて入ってくる。
ハルヒと軽く挨拶をして、衣装の事やら何やらを話し出す古泉の顔には、いつものニヤケスマイルが張り付いていた。

だから俺は知らない。
古泉がその時どれだけ、その笑顔を保つのに必死だったのかとか、見せなかった顔がどんなものだったのか、とか。
そんなことは。




学ランが、似合わないというのは嘘だ。
というか、顔もよければ背もそれなりに高い、谷口じゃないがAランクをつけても差し支えないような容姿の奴が、似合わない服などあるのだろうか。それこそあのモヒカンだってよくわからないが様になっていたような奴だ。学ランごときで似合わないわけがない。

だが、俺は似合わないと断言した。
似合うのは、あっちの『古泉』だけで十分だと思ったからだ。



──────────『だからなんだ。たとえばお前がいなかった時の話なんて、"今"には関係ないだろう』
あの時、腹立たしく吐き捨てた言葉。

右手に取ったままだったオセロの石は、一度持ち直して、右辺へと置いた。丁度古泉がひっくり返した三枚の隣だ。隣に置くことで、古泉が先刻返したばかりの黒は全て白へとひっくり返った───────。



俺は何度だって言ってやろうと思う。
お前と、あの『古泉』は別物で、あの『古泉』が平行世界に住むもう一人の古泉なのだとしても。

たとえば、なんて聞きたくない。
あいつとお前は別物だ。



───────そんなもの、俺が全力で否定してやる。



俺が必要としているのは、『たとえば』の世界にあるものなんかじゃなくて、此処にいるお前なんだと。
あいつがまた莫迦なことを言ったりしたら、同じように腹を立ててやろうと思う。



───────あの時、Enterキーを迷わず押したように。

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