カミサマの夢見る四日間 ( 6 )

『第九回市内アマチュア野球大会 参加チーム募集中』

そんな手書き文字が躍ったいかにも手製というチラシをハルヒが部室に持ち込んだのが金曜。野球大会が明後日だというので突如平穏な文芸部室での部活動は青春の一コマ的な野球練習へと変貌した。
付け焼刃もいいところだとしか言いようのない練習をこなし、翌日この世界に来て初めて土曜という休みを体験し―――考えてみれば毎日学校登校しているなんて怠け癖のついた自分には恐ろしい世界だ―――迎えた日曜、野球大会当日。俺たちは市内グラウンドで学校指定ジャージに身を包み白い小さな硬球を追っていた。
天気は梅雨時期にしては珍しいほどの快晴。雲ひとつない空に明るい太陽光。
絶好の野球日和だった。




白い硬球が澄んだ青空に吸い込まれていく。女子高生の細腕から繰り出されたとは到底思えないような勢いでそれは見事な弧を描き、スタンド席に落ちていった。
――――ホームランだ。
バットを持ち固まったままの少女にハルヒが指示を出す。どうすればいいのかわからなかったらしいその少女、長門はハルヒに言われゆっくりと一塁に向かって走り出した。
「長門の力じゃないだろ、あれ」
ホームランを打った長門を見ながら俺は小さく溜息を吐いた。
長門はバッターボックスに入ったあと、一球目でそのバッドを振った。バッドだけだ。両腕はそれに添えていただけであり、身体は体重移動をしているようにも見えなかった。にも関わらず、硬球は易々とスタンド席に落ちていった。はっきり言って物理法則に反している。
隣に立つ古泉はそれには答えない。笑顔を振りまいているだけだ。
黙秘権を行使したってメリットなんかないぞ。
「…あとな」
得点板である黒板におざなりに書かれた白チョークの文字を見る。
そこに書かれた数字は、自分たちのチームのリードを示していた。最初こそ、付け焼刃練習しかしていない素人集団が野球大会常連チームに勝てるはずなどなくゲームは相手チームの圧勝という現実的な展開を見せていたのだが、コールドゲームになろうかというところでそれは変化した。
あの非物理的なホームラン連発の所為である。
それまでほぼノーヒットだったというのに、敗北を目前にして型破りなホームランの大売出しが始まり相手チームの点を上回ったというわけである。

「これが、あいつのやりたかったことなのか?」

俺はずっと、ハルヒが何か望みがあるから4日間を繰り返しているのだと思っていたし、この時間に移ったのも何か意図があってのことだろうと思っていた。これがそうなのか、と傍らの古泉に問うと古泉は少し考える風に顎に手を触れた。
「今までにないケースというのは確かですけど…これがイコール涼宮さんの望みであるという保障はできませんね」
確かに試合は夢見るカミサマの都合に沿った路線へと物語を進めている。だが確信はないのだ。管理人でもそれは判断できないことなのかと問うと、苦笑を返された。僕は末端に過ぎませんから、と。

「こらキョーン! 次あんたの番よ!」

ハルヒの叫びに目を向けると、バットを手にした朝比奈さんと目が合った。いつの間にやら自分の番になっていたらしい。ため息を一つ吐いて、カミサマの機嫌を損ねる前に、とそのバッドを受け取ってバッターボックスへと向かう。対峙したピッチャーは、度重なるホームランに完全に自信を喪失しているように見えた。



それからほどなく、試合終了の合図が青い空に高らかに響き渡った。
結果は我らがSOS団の勝利。素人集団が野球大会ベテランチームに勝ってしまうだなんて非現実的な展開――いやそもそもこの世界は夢だが――に俺は脱力しつつ、なんだか申し訳ない気分にもなって二回戦への出場は棄権すべきだとハルヒに提案した。あまりにも非現実的だとかその辺は誤魔化しつつ。文句を言うかと思ったハルヒは少しだけその口を尖らせて不満を言っていたが、あんたがそれでいいならいいわ、と意外とあっさり引き下がった。結局何がしたかったんだか俺にはさっぱりだった。

「野球がしたかったんでしょうか」
「野球?」
「あなたがいると人数が揃いますからね」

確かに俺が居なければ、人数は揃わない。だが、草野球大会のメンバーはSOS団の他にクラスメイトと俺の妹までが参加しているという、なんというかアンバランスな組み合わせだったのだ。俺が居なければ俺と俺の妹の分は確かに空きが出る。けれどそれは別に他のクラスメイトで埋めたっておかしくはなかったと思う。俺である必要はなかったはずだ。
古泉もそれをわかっているんだろう。言ってみただけですよと芝居がかった仕草をして笑った。
「涼宮さんが本当に野球の試合を望んでいたのなら、ゲームセットの時点でこの世界は崩壊しているはずです。それがいまだにないというのは」
「あいつの望みが叶っていないってことだろ」
「ええ」
頷いて、古泉は玄関脇にある下駄箱に軽い動作で背を預ける。
試合が終わった後、妹のこともあって俺はそのまま家に帰ったのだが、その際古泉も一緒に家に連れてきた。妹が初めて見る爽やかイケ面男に心奪われたからなどでは断じてなく、俺が連れてきたのだ。玄関先で立ち話なんて真っ先に母親あたりに咎められそうだが、今は出ているようで咎める人物は居ない。妹は毎週楽しみにしているアニメが始まる時間らしく家に入るやすぐさま居間に飛び込んでいった。さっきからブラウン管越しのテンションの高い声が時折聞こえてきていた。

「…ここは、いつ壊れるんだ?」

古泉の言うことは正しい。恐らく野球の試合が目的だったのならば勝利を収めた時点で世界は崩壊したはずなのだ。だがいまだに世界が崩壊する兆候は見られず、俺はいつ世界が壊れるのかじりじりと不安に苛まれていた。ああそうだよ悪いか、俺はこの顔だけはいい胡散臭くて表面上人当たりのいいこの男を頼っている。あの色のない世界も、黙示録のように壊れていく世界も、一人で迎えられる勇気を俺は持っちゃいない。
だから、連れてきた。
俺のそういった、ぐるぐると渦巻く不安定な心に気づいたんだろうか、古泉は苦笑してすみませんと謝った。
「僕は確かにこの世界の終わりを見届ける管理人です。僕が居る限りこの世界は必ずあの灰色の世界に変わるでしょう。でも…」
「でも?」
「恐らくそれは今日ではありません」
えらく、断定的に古泉は言ってのけた。
それも管理人だからわかることなんだろうかね。
「…すみません」
「…何、」
気づけば、下駄箱に寄りかかっていたはずの古泉が俺に向き合うように近くまで来ていた。相手は玄関、自分は床の上だってのに忌々しいことにほとんど身長差を感じない。
「あなたは不安を感じている。なのに」
口元を歪めるように笑んだ古泉が、腕を上げる。
憎たらしくなるほど綺麗な指先が伸びて、俺の髪に触れようとしている。それをスローモーションで一コマ一コマ見ているような気分で眺めて―――。
いや待て、待て、待て。
なんだ、それ。髪に触れる? 誰が。古泉が? なんで、そんな。髪とか、
指先が死角に消えて、酷く軽い何かが頭に触れるのを感じる。僅かな、その感触を。理解しようとして頭がだけど拒絶を示す。
いやよくあるだろう髪に触れるぐらい、御伽噺の王子様なんかお姫様の髪を梳いたりキスしたりとか当たり前にしてるじゃないか、とそこまで考えてキスって何だと内心頭を抱えた。
多分、恐らく、いや絶対。古泉が王子様的な外見をしているから。だからそんな考えに帰結したに違いない。
だから。
「あなたが僕を頼ってくれることを、少し喜んでしまう自分がいます」
―――そんな言葉を。古泉が言い終わるか否か。髪に触れていた古泉の腕を俺は掴み上げていた。
「…お…れは、刷り込みをうけた雛鳥か」
いかにも鬱陶しいというようにその掴んだ腕を放せばよかったものを。その腕が思っていたよりも冷たくて、俺はそのタイミングを逸してしまった。
古泉の琥珀の眸が僅かばかり見開かれて、固まる。だけどそれは一瞬のことで、すぐに細められた眸が笑みの形を取った。
そして。
「それは、あなたじゃない」
紡ぐ、言葉。
「………は?」
言っている意味が解らない、と顔を上げたときにはもう、「失礼、糸くずがついていたものですから」と古泉は何かを摘んだ指先を示して腕を引っ込めていた。
「安心してください。『今日』はあの灰色の空間には変わりません。また明日、部室で会いましょう」
にこりと笑ってそう告げたかと思うと、くるりと背を向けてしまう。声をかける隙を与えない古泉に、それでも何かをと思った矢先、玄関の戸を閉める古泉は俺を見て笑った。

「あなたを送り届けるという約束、違えたりはしません」

琥珀の眸が笑って。
玄関の戸の、閉じる刹那に隙間からそんな言葉が滑り込む。

―――その声は、笑っていなかった。





古泉が帰った後、母親が帰ってきて家族で夕飯を食べて妹を寝かしつけて。その日はおかしいくらいいつもの日常で古泉の言うとおり灰色の世界とは全く無縁だった。
ごろりと寝転がったベッドの上、見上げる天井の電気はもう消えて、闇にうっすらとその輪郭が浮かんでいる。眠る前の水に沈むような感覚に身を預けたままそれをなんとはなしに見ながら昼間古泉が言った言葉を思い出していた。「明日部室で」というあの言葉はただの挨拶じゃなくて、明日も変わらずあるのだとそういう意味もこめていたんじゃないだろうか。しかもそれを聞いて安心したとか、俺は本当に莫迦なんじゃないかと自分で自分を罵りながらかけていた布団を肩口まで引き上げる。あいつのことは胡散臭いという評価しかしていないが、これでも一応信用しているのだ。でもこれじゃあ本当に、刷り込みをうけた雛鳥そのものだ。どこがどう違うんだよ古泉。しかもなんだあの、「あなたじゃない」ってその否定の仕方は。わけがわからん。

―――――わからないといえば。

ふわりと、頭を掠めるだけの弱い力で触れた、あの指先を思い出す。
糸くずって。
そんなの言えばいいだろうに。わざわざ取りたかったのか。俺はあいつが手を伸ばしたその一瞬の間になんかよくわからんが頭がオーバーヒートしかけたってのに、なんだよ、糸くずかよ。
―――――って。
なんでこんなに残念な気持ちになってるんだ。
待て、もう一度考え直してみよう。
古泉一樹って男はいつも当たり障りのない笑顔を人に振りまいて自分以外との距離を置いているように見える。恐らく誰にも素の顔なんか見せないんだろう。だから、つまり何か理由でもなきゃあんな風に誰かの領域に入るみたいに触れたりだとか、しないんだろう。
そこまで考えて、なぜだろう。やっぱり腹が立つようなぐるぐるした気分になった。 多分、俺があいつに抱いている信頼とかそういったもので括られる感情を、同程度には返してもらえていないんじゃないかという不満を感じたからだ。
夢の中の設定に縛られたキャラクターに何を要求してるんだか。そう思う一方で俺のその胃の腑に沈む気持ち悪さは消えなかった。

―――――苛々、する。
それを振り払うようにガバリと勢いよく頭から布団を被って無理やり視界を暗闇に塞いで、眠ることだけ考えようとした。

明日は、四日目だ。

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