カミサマの夢見る四日間 ( 4 )

──────お前、俺のこと知ってるか?
なんて。
前に君に会ったことがあるような気がする、とかいう安っぽいナンパ台詞と同レベルじゃないのか。そうは思ったが他に聞きようがなかったんだから仕方がない。
よろしくと差し出された手をそのままひっ掴んでじゃあ折角だ校舎を案内してやろうと部室棟を出たのが数分前。問答無用だったと我ながら思う。それからどこか適当に座って話せる場所を探して、まず聞いた言葉がそれだった。
大体古泉、お前が初めましてなんて言うからだややこしい。昨日散々変な発言してる身としては警戒も強くなるってもんだろう。

「僕は今日転校して来たばかりですから、あなたと面識がある方がおかしいですよ。その点では面識がないフリをして下さったことに感謝しています」

責め立てる口調に返した古泉の言葉はそれだった。しかも完璧なまでの笑顔付きだ。よく言う。どうせ俺を混乱させたかっただけだろ。
そう思ってしまうくらいには、古泉の浮かべる笑顔は胡散臭い印象だった。あの灰色空間で会ったときの方がまだ紳士的に見えたのになんでだろうね。あれか? 人は混乱すると藁にも縋りたくなるって言うし、混乱がピークに達して頭がショート寸前だった俺は、あの時あの胡散臭い笑顔すら信用に値する紳士的な笑顔に見えていたってことなのか? その時の自分の神経を殴り飛ばして正気になれと言ってやりたい。無駄だってことくらいわかっちゃいるが。
まあ今はそんなことはいい。それよりも重要なことがある。

「兎に角、説明しろ」

俺は昨日から訳がわからない状態なんだ。しかも古泉、お前が最初に会ったときに中途半端な話をした所為で昨日は一日お前を捜し回ったんだからな。きちんと綺麗サッパリ事態を説明してもらう義務がお前にはある。
そして今なら恐らくどんな電波話を聞かされても俺は納得がいく気がする。もういい加減異常事態なんだという認識があるからな。
俺の言葉に、古泉がにっこり笑う。嬉しそうに見えたのは気のせいだと思いたい。
そのあと古泉が話し始めたのは、やっぱりあの電波話の続きだった。

「前にも説明しましたが、この『世界』は四日間しか時間が存在しません」
ああ聞いたな。けったいな話だ。
因みに今日は二日目ですよ、と古泉は言った。何の、など聞くに及ばない。この『世界』の二日目だ。
夢だと思って目覚めたあの夜、あの時点で『世界』はすでに再構成されていたらしい。四日目から一日目へと戻った『世界』は俺という異質な存在があるのもお構いなしだったようだ。
なんでそんなけったいな『世界』なんだと問うと、古泉はこの『世界』はある存在が夢見る世界だからなのだと答えた。

「………それは、涼宮か?」
問うと御名答です、と大して驚いたようでもなく古泉は首肯した。
「ここは涼宮さんが夢見る理想の世界なんですよ」

ああやっぱりと思う。
思い出したのは消毒液の匂いに満ちた薄暗い病室で、起きあがることも出来ずに俺を見つめていた痩せた少女の姿だった。
通い慣れた1年5組の教室、窓際最後尾の席に座って俺を見ていた涼宮は、それとあまりにかけ離れていた。
病弱などという言葉とは一番無縁だろうと思われる元気溌剌とした───いや、溌剌どころか爆発だな───オーラに、突飛で凄まじい行動力。強い意志を称えた、星空をそのまま収めたみたいに輝く眸。
あいつが作ったというSOS団なんていう団体。
それに所属している俺。

どこまでも似通った世界で、涼宮と、それに関連した物事だけが俺が元いた世界と異なっていた。予想はつくさ。

「あいつ……入院してるんだ、俺の記憶ではな」
「ええ。彼女はその現実を否定して、自分が健康体であるこの世界を夢見ています」
「………なんでだ」
「…病弱では出来ないことをしたいから、でしょうね」

なんだそれ、曖昧だな。そう言うと笑って誤魔化された。
それ以上は把握していませんとか言ったけど、嘘だろう? いや、嘘じゃないにしても予想はついているんじゃないか? お前は…そう、この『世界』に詳しすぎる。
あの明らかに通常と違った灰色の空間にいたことといい、涼宮が入院していると言ってもまるで動揺しなかったことといい、こいつがこの世界に存在する他の奴と違うのはなんとなくわかる。
途中自販機で買ったコーヒーの入った紙コップを傾けていた古泉が顔を上げて、目を細めた。
「僕はこの世界の管理人、の一人ですよ」
かんりにん、と古泉の言葉を繰り返すように口の中で紡ぐ。その単語で思い浮かぶのはマンションとかアパートに在中している定年を迎えたじいさんとか、そんなイメージだけだ。暫く固まっていると、何か違うこと考えてません? と古泉が首を傾げた。笑顔のままで。
煩い、いいからさっさと話せ。
古泉が説明したところによると、この世界には複数の管理人という立場の者が存在するらしい。
『世界』の情報を統括する管理人、時間を統括する管理人、自分は『世界』の最後を見守る役目なのだと言った。あの『世界』の最後である灰色空間が問題なく崩壊して新しく生まれ変わるのを見守る役目なのだと。

「管理人といってもさほど重要な役柄ではありません。この世界の機構を知り得てはいても運営を任されているわけではなく、ただこの世界が安定するようにイレギュラーに対応する、役目はそれだけです」

イレギュラー…、とはつまり、俺みたいなってことだろう。
最初に会った時に古泉に言われたことを思い出した。自分はこの世界にとってイレギュラー因子なのだと。じゃあ対応ってのはなんだ?

「今のところあなたを排除しようという動きはありません。むしろあなたは涼宮さんに招かれたようですし…我々はあなたを取り敢えず監視対象として見守るつもりです」

なんか言葉の端々が物騒な気がするんだが気のせいか? 勝手に引きつる顔の筋肉を無視しようともせず問い掛けたが、古泉は笑顔のまま何も言わなかった。渇いて張り付きそうになる喉に、来る途中買った飲み物を飲み干す勢いで口にして、なんとか潤す。
くそ、余計不安になる。
「それで? 俺はいつになったら帰れるんだ?」
問題はそれだ。俺は四日間しかない世界に永住する気はこれっぽっちもない。いくらこの『世界』が元の世界と似ていようが明らかに安住の地とは別だ。
古泉は少し考える仕草をして──それは明らかにただの仕草だった──長ったらしい前髪を右手で払う。
にっこり笑ったあと、口を開いた。

「この世界そのものが崩壊すれば帰れる筈です」
「崩壊って…」

なんか今、簡単に口にしたがそんな簡単にどうにかなるものなのか? 世界崩壊が?

「涼宮さんの願いが叶えば、そうなるでしょう」

その時はお送りしますよ、と明日一緒に帰りましょうみたいな気軽さで古泉が言う。涼宮の願い、それが一番不明確だってのに簡単そうにそんな笑顔で…くそ、ああなんか頭痛がしてきたな。
痛み始めるこめかみを抑えて目の前のスマイル男を見る。表情がちらりとも揺らがないのが忌々しい。世界の崩壊って、仮にも自分の世界の崩壊の話をしているってのに、とそこまで考えてふと、頭を過ぎった疑問があった。

「お前は?」

突然投げかけた疑問に、スマイル男が意味をはかりかねて首を傾げる。
だから、お前、『世界』が崩壊したらお前はどうなるんだ? 自分の世界だろう?
改めて問いつめると、スマイル男は一瞬、不意をつかれたみたいに眸を見開いた。琥珀の光が、一度だけ、俺を見つめる。
いや、それはただの俺の見間違いだったのかもしれない。気がつけば古泉は先刻と代わり映えのしない笑顔をその無駄に秀麗な顔に浮かべていた。

「僕はこの世界の為だけに存在していますし、死の概念もありません」

あなたが気になさるようなことは何もありませんよ、と。
紡がれたその言葉。
にこにこと如才なく笑う顔。


──────ああ。

嫌な笑い方をする男だと。

その時、初めて思った。


「もう、こんな時間ですね。涼宮さんのところへ戻りましょう」
空になった紙コップを片手に古泉が立ち上がる。時計を見ると部室を出てから既に30分は経っていた。あの怒りやすい涼宮が眉を吊り上げて睨み付けてくる様が簡単に脳裏に思いつく。わかった、とため息を吐いて俺も空になった紙コップを手に席を立った。



古泉が転校してきたのが二日目だった。それから三日四日と『世界』は問題なく過ぎていった。途中ハルヒがあのハイテンションに任せてお隣のコンピュータ研究部通称コンピ研に無理難題をふっかけ自分の配下の如く扱ったり、愛らしい天使のごとき朝比奈さんにメイドのコスプレを強要したりなんてことはあったが、まあ多分平和だったと思う。

「慣れませんか?」
「まだ二回目だぞ、つうか慣れたくもないな」

目の前に広がる色のない世界。思い切り眉を顰めてその光景を見つめる俺に、傍らの古泉が肩を竦めてみせた。
見慣れた校舎がモノクロ色に染まったのはついさっきだ。SOS団活動が終了して席を立とうとした直後だった。夕日の赤光は一瞬の後に消え去り、『世界』は光のない空間へと転変した。そのまま部室にいた古泉と学校を出て、今はその校舎を横目にどこへともなく歩いている。
「僕はもう見慣れましたよ、色のない世界も、時が止まったような静寂も」
僕の役割ですし、最初から見慣れるも何もないんですけどね、と笑う古泉は雲一つ見えない灰空を見上げている。死んだ世界を。
隣でその秀麗な横顔を見つめながら、いつもこいつは何を思ってこの灰空を見つめているんだろうと思った。
俺なんか今だって耐えられない。灰色に染め上げられた世界は非日常すぎて背筋が寒くなるし、自分たち以外の気配がないのを証明するような静謐は耳が痛いほどで。
隣に古泉がいるから、まだマシだなと思った。一人だったらきっと、狂ってしまう。
それに慣れるとか、どうなんだよ、それ。

「…さみしく、ないのか?」

不意に口をついて出た言葉に自分自身で驚いた。
寂しい? 誰が。
問いかけに古泉が振り返る。琥珀の眸が見開かれて呆然というように俺を見ていた。

「…あの、」
「すまん忘れろなんでもない」
「なんですかそれ」
「黙れ喋るな笑うなこの似非スマイル」

酷い言われようですねと他人事のように古泉が苦笑する。笑うなよ、笑うなって言っただろうが。くそ忌々しい。この口はなんであんなことを口走ったりしたんだ。


─────ただ。
ただ、思っただけなんだ。
誰もいない一人きりの世界で、見上げる灰色の空。終わりの時がくるまでの短い猶予の時間を。
あの、色のない空に亀裂が走り、欠片がパラパラと落ちて『世界』が壊れていくのを。

一人で、何を思って見つめていたんだろう、と。


「…今まで、一度だってありませんでしたよ」
独白のように古泉が言う。顔を向けると、先刻まで呆然と見開かれていたはずの琥珀の眸は、俺を見て、あの嫌だと思った笑みを浮かべていた。

「僕はこの灰色の世界を一人きりで見守るだけです。一度だって、寂しいと思ったことはありません」

パシッとどこかで音が鳴る。
歪な光が空から落ちて、ああ空が割れたのだと気づく。

「あなたは…例えば、そう。水に投げ込まれた一粒の石のようですね。投げ込まれた瞬間水面が波紋を描くように、その影響をどこまでも広めていくような」

割れる大地。耐震強度はしっかりしているはずの校舎がいとも簡単に崩壊していく。そんな、黙示録的背景を背負っていても、様になる男だ。
ふと古泉が、天から注ぐ歪な光を眩しいというようにその琥珀の眸を眇める。
いや、違う。落ちる光は、眩しいと思うほど強いものなんかじゃない。

「寂しいだなんて、そんなこと。あなたが来なければ、それを知ることも──────」



────────古泉のその言葉は、最後までは聞こえなかった。












変化が訪れたのはそれからすぐ後。クリア後の特典のあるロールプレイングゲーム風に言うなら、このイカレた世界が終焉と再生を繰り返して丁度三周目に入ったところからだった。
いや、そう思っているのは実は俺だけで、古泉があの崩壊の間際に言っていたように『世界』の変化は俺がここに来たその瞬間から着実と起こっていたのかもしれない。ただ俺が気がついていなかっただけで。
兎も角、俺がそれに気がついたのは三周目に入ったその一日目のことだった。

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