カミサマの夢見る四日間 ( 2 )

それはいまだかつてないリアルな夢────だった。
寝相が悪かったんだろうな。ベッドから落ちて頭を打ち、その衝撃で目が醒めた 時も、暫く自分はどこに落ちたんだろうよく助かったな、なんて思っていた。
そうして見上げた先が見慣れた天井だと気付いた途端、俺は自分の頭を掻きむしった。
なんつー夢だ。世界崩壊を望んだことなんぞこれっぽっちもないってのに自分 の深層心理がよくわからん。
本当にな。



「ようキョン! 朝からシケた面してんな」
毎朝恒例の強制ハイキングコース、別名心臓破りの坂通学路を欠伸を噛み殺しな がらノロノロと歩いていた俺に背後から随分と陽気な声がかけられる。クラスメ イトの谷口だった。
シケた面も何もこれは生れつきだ、悪かったな。
「だったらもう少し明るい顔になれるよう、俺様のように努力を惜しまないとだなぁ」
女子にもてないぞといった長話を始めそうな谷口を俺は余計なお世話だという一言で切り捨てる。そんなことよりも俺はお前に言わねばならんことがあるのだ。
なんだよ、と怪訝な顔をする谷口には心あたりが全くないらしい。お前の背中に僕は薄情な男ですという紙を貼付けてやろうかと本気で思ったが、その衝動をなんとか抑えて俺は昨日の見舞い話を持ち出した。
「お前、昨日見舞いの後どこに行ってたんだ」
人に見舞いを付き合わせておいて途中でバックれるなんてのはどういう非常事態があって成立するものなのかね。昨日の予想じゃナンパが有力候補だったな、などと考えながら聞くと、予想外にも谷口は目を丸くして「見舞い? 誰の?」と言い放った。
その、あまりに予想外な言葉に俺は思わずツッコミを入れるタイミングを逃してしまった。

「……誤魔化すならもっとうまい方法を取れ。勿論涼宮の見舞いだ」
「………涼宮? あいつの見舞い? あいつが具合悪いことなんかあるのか?」

まるでわけがわからん、という谷口の様相に俺は軽く目眩を覚えた。
待て待て待て。見舞いに付き合えと言ったのはお前だろう。涼宮はお前と同じ中 学出身で、身体が弱くてよく入退院を繰り返してるんだろう。そうお前が言ったんじゃないか。そして俺は昨日お前と見舞いに行ったんだぞ。
谷口は暫く俺の言葉に耳を傾けていたが途中からあからさまに憐れみをあらわにし、俺が話終えると、軽く俺の肩を叩いた。

「キョン、今度は何があったのかよくわからんが、記憶が不確かになるようなことはやめておけ」
「なんのことだ」

意志の疎通が全く叶わないとはこういうことを言うのだろうか。
俺にはお前の言っていることがさっぱりわからんぞ。
お前はいつの間にコミュニケーションの壁を作ったんだ。
俺の不服顔に小さくため息を吐いた谷口は子供に言い聞かせる時のような仕種で俺に言った。

「とりあえず学校に着いたら自分の後ろの席の存在を確認することをすすめるぜ」





後ろの席、それは誰の席だっただろうか。
問うまでもない、先日確認したばかりだ。今は入院をしており、昨日見舞ったあの涼宮ハルヒの席だ。
その存在を確認しろだなんて谷口もわけのわからないことを言う。
存在も何も昨日入院してた奴が今日そこにいるわけないだろう、と俺は思っていた。常識的に考えても当然の帰結だ。果たして谷口の言葉がどんな意味を成すのか。俺は慣れ親しんだ1年5組の教室の戸を開けたときその意味を悟った。

「相変わらず眠そうな顔してるわね、キョン」

なぜ、と思考が凍結した。

俺の席は窓際後方二列目というなかなか自分でもお気に入りのポジションだ。授業中に眠気に襲われようが特に見咎められそうにない席だからだ。
その席の後ろ、つまり窓際最後尾という俺的特等席に座った女子が教室に入った俺を認めて、そのでっかい目を輝かせた。
あれだ、子供が好きな玩具を見つけた時のキラキラした瞳と同じ類のものだった。
そいつがそんな顔をして俺を見て、そして親しげに声をかけてくる。
見覚えのない女だった。クラスにいたかこんな…可愛いといっても差し支えのない顔の女子は。そう思ったがそう思うと同時にそれが涼宮ハルヒなのだと俺は瞬時に理解していた。なんでって…そいつが俺の後ろの席に座っていたからだろう。
そしてあの、病室で見た顔と健康的な違いはあれど面影があったからだ。

そう、病室で俺は見たのだ、彼女を。
それが昨日とはいえ、一日で退院できるような状態ではなかったことを俺はよく知っている。
だから。彼女は今も。

─────入院…してるはずだろ。

そう思うと同時に軽い目眩を覚えた。
何か得体の知れない薄ら寒いものが背筋を這い回っているような悪寒を覚えた。
昨日、夢の中で見たあの非日常的な空間とそれに慄然とした自分を思い出した。あの時と同じ感覚だと思った。

灰色に染め上げられた、閉鎖空間。
四日間しかない『世界』。
イレギュラー因子である自分。

『この『世界』の外の存在ということですよ。この四日間だけの『世界』ではない別の世界に生きている方でしょうね』

思い出した声は、あのとき聞かされたものだ。なんでこんな一言一句鮮明に覚えているのか自分でも不思議なくらい、その言葉は正確に脳内に再生された。



俺は、まだ夢を見ているのだろうか。



絶望的な気分で、そう、思った。







それから、どうやって席についたのか覚えていない。
授業を聞いても、それが俺の知っている授業内容の続きからだったのか、そもそも内容自体きちんとした授業だったのかも覚えていない。すべて夢心地のようにふわふわと、記憶に小さな軌跡を残して去っていくものでしかなかった。だからこれは夢だと言えればそれでよかった。だというのに。

窓際だから目に付く空は快く晴れと書く天気で、その群青が目に染みるほど。
日差しの暖かさも、風の運ぶ新緑の匂いも、覚えのある季節のそれで。
ついでに言うとその昼に食べた弁当のおかずなんか、よく晩に食べるおかずの残り物で、その味は記憶に刻み込まれたそれと寸分違わなかった。

五感の全てが訴えていた。
これが夢でないことを。


休み時間、昼休み、放課後。俺は時間の許す限り入学して一月あまりの校内をこれでもかというほど歩き回っていた。現状を理解できない。それを打破できるただ一つの鍵を。

古泉一樹と、名乗った男を捜すために。

そもそもおかしいと少しは思ったんだ。いや、おかしいというか、理解ができないと首をひねったことがある。
あの夢に出てきた古泉という男に俺は見覚えがなかった。夢ってのは普通現実にあった情報を脳が整理するために見るもの、だなんて言うだろう? だから知っている人物ならともかく、知らない人物が夢に出てきたことに少し違和感があったのだ。
ただ、そのくらいの違和感なら誤魔化せる程度のものだった。誤魔化せなかったのはもう一つの方だ。
あの人類が死に絶えたみたいな灰色の、世界の終末みたいな場所で。
可愛い女の子とならわかるさ。それがよりによって見ず知らずの男と二人きりだ。美形なのは認める。だが男だ。
アダムとイヴを夢見たって無理がありすぎるだろう。
夢ってのが本能が赴くままの幻想なのだとしても、俺は男に飢えるような性癖の持ち主ではないはずだ。自信を持って言いたい。

だから、あれは夢なのだと思う一方でどこか夢ではないような違和感も感じていたのだ。

─────ここにも、いない。
本日何番目かになる教室を後にして俺はため息を吐いた。
北高のブレザーを着た、背が高く容姿の整った穏和そうな男。夢の存在か現の存在かは定かではない。だが、いるとしたら目立ちそうだし、すぐに見つかると思っていた。だが、見つからない。今はもう放課後だ。生徒も大半が帰路についておりそんな中で見つけられるとも思えない。それでもこうしてあいつを捜し回っていたのは、あいつの言葉を信じてしまているからだった。いや、縋っていると言ってもいい。

『あなたとはまたお会いするでしょう』

そう、古泉は言った。

────なんで見つからないんだ。
こういう場合、待ち伏せをしていたり、俺が捜し出すのを待ちかまえているのが普通だろう。映画や小説なんかじゃそういう展開が普通だ。お前もそうなんじゃないのか?
居もしない相手に問いかけて、下唇を強く噛む。

残りの教室も回れるだけ回ったが、結局古泉を見つけることは出来ず、無為にその日は過ぎてしまった。
すっかり薄暗くなり始めた空の下、とぼとぼ、という擬音がぴったりな重い足取りで帰路につく。

どうしたらいい。

頭に強く打たれたような重い鈍痛が響いて、陰鬱な気分に拍車をかけた。



なにも、わからない。
それでも。

陽が落ちて、世界が夜闇に染まってゆく。
一日目は終わりやがて二日目が始まるのを、俺はただ何も出来ずに待つことしかできないのだと、闇に落ちる空を見ながらそう思った。

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