古泉と過ごすことになっている前日の夜には、必ず電話かメールで連絡が入る。
(過ごさない日でも連絡が来るのだが、それはまぁ今は置いておこう。)
それがやってくるのは大抵眠りにつこうかと思っている頃で、タイミングがいいのやら悪いのやら分からない。
こういうやり取りも当たり前になって、連絡が来ないときはひやひやしてしまったりするようになったんだから、俺も相当古泉に感化されたんだなと自己嫌悪の渦に飛び込みたくなったりする。

……それはともかく。
明日の土曜は古泉と会う約束になっていて、本日も漏れなくいつもの連絡が届いたというわけなのだが、いつもと少々内容が違った。

『申し訳ありませんが、明日はいつもの場所ではなくご自宅にいてもらえないでしょうか?』

珍しい、と思う。普段は明日は楽しみですね、お待ちしていますとかおやすみなさいとか返事も特にいらないような内容なのだ。こういう風に明日の予定を変更するというのは珍しい。つか、変更を願い出るならもっと早い時間に連絡をよこせ。俺が寝ていたらどうするつもりだ。……どうせ、寝ていないって分かられてるからだろうが。くそ。
まぁいいさ。待ち合わせの場所に行かなくて済む分、家でのんびり出来ると思えば特に異論はない。古泉の部屋に泊まりに行くということ以外、どこへ行こうとも何をしようとも決めちゃいなかったんだしな(人と約束しておいてそれもどうかとは思うが)。
電話越しに俺の回答を待っている奴に、肯定の意思を告げてやる。


「いいぜ。待ってりゃいいんだな?」
『すみません。時間通りには行けると思いますが、少々お待ち頂くかも知れません。』
「構わん。家でのんびりさせてもらうさ。ただ、遅くなりすぎるようなら連絡しろ。」
『はい。それでは夜分遅くに申し訳ありませんでした。おやすみなさい。……また、明日。』
「おう。」


機械的な電子音で切られた携帯を机に置いてあった充電器にセットする。
ついでに目覚まし時計の時間も30分ばかり遅くした。たかだか30分でも朝の30分は大変貴重だ。
やれやれ。行き当たりばったりはいつものことだが、何があったんだろうかね。明日聞いてみるとするか。


たまには、な。



いつ出てもいいように準備を済ませてしまった俺は、現在古泉待ちだ。

雨ばかりが続いていた数日のうちに溜まった洗濯も済ませたし、掃除機もかけた。洗いっぱなしにしていた食器も自然乾燥で乾いたので食器棚にも入れたし、ガスの元栓も締めて、上着と財布に携帯をテーブルの上に準備してある。
……言い忘れていたが、俺は今実家を出て職場近くのアパートに部屋を借りている。1Kとどこぞの誰かさんとは雲泥の差もある部屋に住んでいるわけだが別段困ったことはない。大学在学中に実家を出てから早3年も経てば家事能力はめきめきと上がるもので、実家にいた頃とは比べ物にならないくらいの腕前になっていると自負している。以前、妹が実家からの差し入れだと部屋に寄ったときの『信じられない。』といった顔を俺はしっかりと覚えてるからな。全く失礼なことだ。俺だってやるときはやる。
まぁそんな風に鍛えられた一人暮らしのスキルを遺憾なく発揮させた結果、古泉が来る前にすっかり終わってしまい、手持ち無沙汰となってしまった。


「……遅くなるなら連絡入れろって言っただろうが。」


どさっと、勢いよくソファに腰を落としてリモコンを弄る。つけたTVの画面には14:40と表示されていた。
元々の待ち合わせ時刻は午前10時で、ぶらぶら買い物しながら昼食を取り、気になる映画でも観て古泉の部屋にでも行くことになるだろうと思っていた。別にどこにも行かなくても良いといえばいい……のではあるが、折角の休日ですし街に出ましょうかと楽しそうに提案されたら…期待したくなるだろう?デートなんて薄ら寒い言葉を使うつもりはないが、外に出るのは楽しみにしていたんだ。古泉に面と向かって告げてやる気なんて更々ないがな。しかし、すでに昼も回っている時刻で、今から街に出てぶらぶらするのも億劫だ。
見てもいなかったTVを切り、ソファに背を預けて大きな溜息をついた。

ふと、エンジン音が耳に届き、思い至って玄関から外に出る。手すりに寄りかかって下を見ると、一台の見慣れた車が俺のアパートの駐車場に入ってきた。一度もやり直しすることなく定位置に車をおさめた後に慌しい動作で車から降りてきたのは、これもまた見慣れた薄茶色の髪の毛をした男だった。
眺める俺の視線に気が付いたのか単に部屋を確認しただけなのかは分からないが、上を見上げた男と視線が絡み合う。驚いた顔をした奴は壊れるかと思うくらいの音を立ててドアを閉めると、鍵もかけずに脇の階段を駆け上がって俺のところまで走ってきた。
鍵くらいかけろよ、ったく。


「申し訳、ありません。」
「………仕事だったのか?」


遅い!と一言言ってやろうと思っていたが目の前までやってきた古泉の格好を見て止めた。高校、大学を経てようやくラフといえる私服も着るようになった奴が、今はきっちりスーツを着ている。今日は休みを取ったと言っていたから、こんな恰好で来るわけがない。
上から下までなめるように視線を這わせた俺を見て古泉は苦笑する。そしてまた、すみませんと返した。


「昨夜、同僚から連絡が入りまして……。」
「ああ、なるほどな。」


古泉の仕事がどんなものかは詳しくは聞いていない。聞いたことは聞いたが、俺がわかったのは専門性が強すぎて担当者がいないと話が進まないケースが多々あるような職場ということだ。…まぁ、俺の職場も似たようなもんだがそのようなことがないように研修などの能力の偏り防止策が取られているのだし、休みの前にはしっかりと引き継ぎがあるはずなのだが、どうやら今回は例に漏れたらしい。
学生時代ほど万事が予定通りに進むとは限らない。社会に出てまず学んだのはそれだ。
働いている限り起こりうることなのだから割り切るしかないし仕方がない。その度に文句を言っていらばきりがないし、逆に自分がそうなった場合に言われるのも嫌だからなるべく言わないことにしている。互いに社会人として生活を始めたときからそれくらいは弁えているつもりだ―――が。

それはそれとしてだな、古泉よ。俺は言わなかったか?「遅くなりすぎるようなら連絡しろ。」と。約束が10時で現在14時過ぎだ。むしろ15時に近い。4時間経過は立派に「遅くなりすぎている」とは思わないか?
1分抜け出して連絡を入れるくらい出来なかったとは言わせないぞ、おい。
まぁどうせお前のことだから、昼飯も食わずに取り組んで気がついたらこの時間で真っ青になって、珍しく傍目から分かるほどに顔に出たお前の状態に同僚が心配しつつ謝ってきたのを「気にしないでください」と返してからすっ飛んできて、車の鍵も掛けずに階段を駆け上がって来たんだろうがな。
何か違ったか? 違うなら聞いてやる。


「………………何で分かるんですか………。」
「分からない方が不思議だな。」


約束の時間に遅れたことで、古泉の落ち込み度が半端じゃないのは自惚れじゃなく見ればわかる。
顔に出るくらい動揺した、って件は……そうであれと思っただけだったのだが言わなくてもいいだろう。
先程の反応で随分溜飲が下がったし、この件はこれでチャラにしてやるか。
高校時代から培われてきたためか随分と色々なことに対して器がでかくなった気がするな。自分で言うのもなんだが。


「さてと……上がれよ。あ、その前に車の鍵はきちんと閉めてこい。」
「え? あの……出掛けられないんですか?」


アパートのドアを開けて中に入るように促すと古泉は目を瞬いた。その手に車の鍵が握られたままなのを見とめる。ひとまず話をしたらそのまま出掛ける気だったのだろう。ああそうだ、俺と古泉は高校卒業と同時に免許を取ったので車を運転することができる。ただし、俺は自分の車を持っていないので遠出をするなら古泉の車で交互に運転という形になるのだが(車の保険云々については考えないことにしている。払うのは古泉だ)。今日は職場から真っすぐこちらへ来るために車で来たのだろう。車に乗るのは嫌いじゃないから、このままドライブでもいいなとちらっと考えたが。


「お前、徹夜だな。電話の後にすぐ会社に行ったのか?」
「………ええ、よくお分かりですね、本当に。」
「鏡覗いてみろよ、ひどい顔してるぞ。」


非常に残念なことだが、俺はそんな顔色をした奴の運転で出掛ける気は毛頭ない。
昔取った杵柄というやつか、古泉は1日、2日の徹夜くらいどうってことないですよ、とほがらかに笑うのだがそんな奴の運転の助手席に座る恐怖は分かるまい。事故死亡率は運転席じゃなくて圧倒的に助手席側なんだ。ごめんだね。
手をひらひらさせてお断りの意志表示をすると、ですが…と顔を歪める古泉がいる。


「実は、ディナーの予約は既に入れてしまっているので……出来れば。」


用意周到な古泉のことだ、それくらいはやると思ってたさ。街へと出るときは大抵夕飯は外食にする。今回は昼前から出掛けると決めてあったのだから、当然と言えば当然か。実際、毎回律儀にこいつが調べてくる店に行くのを楽しみにしてるしな、俺も。


「それって何時だ?」
「18時半で予約してあります。」
「新しい店か? ここからどれくらいかかるんだ?」
「職場の方からお勧めの場所があるとお聞きしましたので、今回はそちらにしました。そうですね……車では行ったことのないお店であることと、休日の交通状況を鑑みて1時間強は見ていただいた方が良いかと…。」


ふーん…2時間はあるな。睡眠不足を補うには足りないが、休憩するには十分だろ。どうせこのまますぐに出かけたって、街中出歩くのにも映画一本観れない中途半端な時間だ。それだったら開き直ってのんびりしようぜ。出かけるのを楽しみにしていたのは事実だが、俺はだらだらするのも嫌いじゃない。むしろ好きだしな、だから別に気にすることはない………ん?なんだ、その緩みきったにやけ面は。


「いえ…。僕は随分と、あなたに甘やかされているなと思ったので。」
「気のせいだろ。何時までも我侭が許容される子供じゃないってだけの話だ。」
「僕は、あなたになら我侭を言って頂きたいと思ってますよ。何時でもね。」
「馬鹿も休み休み言え。そんなのは俺が嫌だ。あーもういいから、さっさと鍵閉めろ。オートロックで一発だろ。」


気になってしょうがないと睨みつけてやると、古泉はそうですねと幾分かすっきりした顔で駐車場の方へキーを向けて電子音を鳴らす。そんな古泉を見ていると、ふぅと大きな溜息が出た。 しかも中に入ったら入ったで、背中からぎゅうううううと音がするような力で抱きしめられて………いや、抱きつかれて歩きづらいったらない。居間まで引きずってソファに寝かせると、今度は腰に抱きつかれて動けなくなってしまった。抱きついた本人は「充電させて下さい」と呟いたっきり電源が落ちたように眠りやがるしな。髪の毛を引っ張っても起きやしない。ったく、何だってこんな子供を面倒見ているような気分になるのかね。


「やれやれ…。」


ここで無理矢理叩き起こしても散々待たされた今日は文句を言われる筋合いはないというのも重々承知だが、それをする気にならないのはやっぱりこいつが安堵しきったような子供の顔で俺に手繰りついて眠っているからなんだろうな、と客観的に分析してみる。 客観的、とつけたのに深い意味はない。
こうした姿を見ることが出来るのは俺だけだ、ということが嬉しい……とは思ってないからな。
今更だろうと言われようが思ってない。 思ってたまるか!


「あーくそ……今日は全部お前の奢りだからな。」


古泉のネクタイを緩めてやりながら恨めしく呟いてやる。  起きていたら「もちろんです」と即答されることも想像に難くない…ってのが何だかな、とは思いつつも携帯をポケットから取り出して5時にアラームをセットした。
時間が来るまで、そのむかつくほど綺麗な寝顔でも拝ませてもらおうかね。
そんなのもたまにはいいだろ。




ドライブネタを書くために年齢を引き上げたのに、結局ドライブに行かない二人をどうしてくれようか。
年齢が上がるにつれてベタ甘になるこの二人はもっと手に負えない……!