After the rain
いつもより少し早く家を出て登校した日の朝は、昨日の夜とは違って綺麗に晴れていた。
余裕を持って起きたことは、母親や妹からは朝一番に「どうしたの?」と心配される程に珍しい事象らしい。
これでもSOS団が発足してからは早起きになったつもりなんだがな。(主に休日だが)
さっさと用事を済ませてしまおうと思い、朝のHRが始まる前に9組へ足を運ぶ。
同じ廊下のはずなのに、特進クラスまで差し掛かると微妙に空気が違う気がした。
「古…」
教室を覗き込むと、窓際で2,3人に囲まれて談笑している古泉を見つけた。
その様子が意外にも"普通"で、周りに溶け込んでいる。……ように見えて声をかけそびれてしまった。
そういや9組に来たのなんて初めてで、クラスの奴等とこんな風に過ごしている古泉を見るのも初めてだった。
いや…ちょっと違うか。廊下ですれ違っても食堂で会っても古泉がクラスメイトと談笑してる姿を見ていたはずだ。
気にも留めていなかったということなんだなと結論付けて、我ながら結構酷いんじゃないかと笑ってしまう。
改まってこんなことを考えるのは、おそらく、昨日思いがけず古泉の家に行ったからなんだろうな。この男との奇妙な距離というものを、脳内では知っていたにも関わらず肌で感じて実感するに至ったというか……なんというか?
1年前には信じられん話だが、これも心境の変化ってやつかね。
9組の扉の前で立ち止まっている俺に気が付いたらしい他の生徒が、古泉くんお客さんだよと声をかけてくれる。俺の顔も、随分広まったもんなんだな……そりゃあんだけ大騒ぎしてれば目立つだろうが…複雑だ。談笑していた友人に向けられていた視線が俺を捕らえて吃驚したような表情を一瞬見た気がしたが、ちょっと失礼しますと輪を抜け出す頃にはいつもどおり、むかつくまでの笑顔の古泉がいる。よう、と声をかけるとおはようございます、なんて爽やかな笑顔を作……って、なんでさっきからお前の表情ばっかり追いかけてんだ。自分が気持ち悪いぞ。
「9組にわざわざいらっしゃるなんて珍しいですね。……何かありましたか?」
眉が寄った俺の顔を見て何かしら不穏を感じたらしい古泉が、入口から出て廊下の窓辺に俺を誘導しながら、ほんの少し低くした声でそう告げた。 思わず右手を持ち上げ、顔を覆う。
――ああ、本当に、こいつの頭の中にはハルヒしかないのかね。力が抜ける。
俺が来たくらいでそんなことに直結する思考が哀れに思えるぞ。お前はもう少し、ハルヒを信用すればいい。お前の境遇じゃなかなか難しいのかもしれないがな。(とは言っても、断片的な情報しか聞かされていないので、あくまで主観だが。)ハルヒは、もう暴れるだけの子供じゃなくなってきていると俺は思う。癇癪起こしても、それを自分で解決しようとしてるようには見えるぞ。上手く言ってるのかはさておきだ。相変わらずの無理難題を押し付けてくる奴ではあるが、十分な進歩じゃないかと思うね。閉鎖空間が発生してるか否か分からん俺だから思うのかもしれないがな。……って、そんなことを言いに来たわけじゃない。
これを渡しに来たんだよ。 左手に持っていた小さな紙袋を持ち上げ、古泉の手へと押し付ける。
何ですかこれは?と疑問符を浮かべる奴に親切にも回答をくれてやった。
「うちの母親と、妹からだ。」
「え?」
「お世話になりました、だとよ。」
うちのキョンが…という台詞もあったが省略だ省略。お世話もしたからだ、一応。
中には先日偶然作ってあったという焼き菓子だ。残っていた2つをまとめて綺麗にラッピングされている。
やったのは、勿論俺ではない。SOS団活で何度か俺の家に来た古泉をえらく気に入っていたらしい母親と妹の仕業だ。ラッピングなんぞせんでもそのまま渡せば…と言おうとしたのがばれたのか「これだから男の子は」という目で睨まれて口を噤む羽目になったのを伝えるつもりは毛頭ないがな。
がさり、と袋の中身を確認した古泉は意表をつかれたように息を呑んだ。
なんだ、苦手なものだったか?
「いえ…それは大丈夫なんですけど……、あの、このためにわざわざ?」
「悪いか?」
部室で結構でしたのにと、どこか遠慮がちに続ける古泉に同感だ。わざわざ9組まで行かずともいいだろうと思ってたさ俺も。だが残念なことに、見て分かったと思うが紙袋に入っている母親(と、手伝ったらしい妹)お手製の焼き菓子はお前の分しかない。こんなものを何かと鋭いハルヒがいる教室に長々と置いておくわけにもいかないし、かと言って部室にも置いておけない。渡しそびれるとうるさいし、言い訳するのも面倒だ……というわけで今渡しに来た。
ありがたく食え。味は保障するぞ。出来れば、帰りまでに食って感想を聞かせてくれると助かるな。
妹がどうだったか古泉くんにちゃんと聞いてきてね!と朝からうるさかったんだ。
借りた傘は傘立てに入れてるから、放課後渡す。忘れんなよ。
それから、服は洗濯してから返すからもう少し待て。 ……とりあえず今日はそれだけだ。
「はぁ…。」
よし。一つ目の懸案事項はこれで解決だなと。矢継ぎ早に言いたいことを言い切った俺の言葉を、両手に紙袋を抱えたまま聞いていた古泉は……そうだな、「何が起こってるんだ?一体」くらいの面持ちをしている。
はぁ、とは古泉にしちゃ随分間抜けな返答だ。そんなに意外か?この展開が。
悪いが俺は、下に妹がいるせいか借りたものは返す、礼には礼を、目には目を歯には歯をと……ん?これは少し違うか。まぁいい。とにかく、そういうところはしっかりしろと親には叩き込まれてんだよ。
お前の礼儀作法には負けるがな。そういうことにしとけ。別に、お前に限ったことじゃないからそんな変な顔してんなよ。美形で人当たりが良くていつも笑顔の優等生が台無しな顔してるぞ。
……おっと、そろそろ本鈴だな。肝心なことを言わずにいるところだった。
「肝心なこと…やはり何か……」
「傘、助かった。サンキュー。」
お前の意外な一面が見れたのも面白かったぞ、と心の中で付け足す。そして、昨日行った古泉の部屋を思い出した。
――物は確かにある。一通りの家具も食器もちゃんと揃っている。だが、こいつの物だと強く感じさせるものがまるでなかった、あのリビング。あの部屋の様子を思い出して、ふと、あの家に入ったことがあるのは俺だけなんじゃないだろうかとそんなことを思った。友人が何度か出入りしているというのであれば、あんな印象を受けるわけがない…気がするからだ。まぁ、それがどうしたこうしたという訳ではないんだが……なんでそんなことをいつまでも考えているんだかな。こいつが、こんな顔をするのを昨日今日と何度か立て続けに見たからか? 優等生が顔を崩すのが意外と面白い、なんて言ったらこいつはどう反応するだろう。
しかし、お前は本当にどうしようもない奴だな。この流れでどうしてハルヒのことになるのか、全く持ってわからん。
俺は、お前に話をしに来てるんであって、他意はない。そもそもお前に相談する前に長門に相談してるぞきっと。
――やれやれ、本鈴が鳴ってしまった。急がないと、それこそハルヒに何を言われるか分かったもんじゃない。
「じゃ、また放課後な。」
「えっ、あ、はい。また……、……ありがとうございました。」
軽く手を挙げて9組から5組へ小走りしようと思った俺の背中に古泉の言葉が投げかけられる。
首だけで振り返ると、大事そうに紙袋を抱えた古泉が憎たらしいほど綺麗な笑顔で笑っていた。
よし、人の好意はそうやって素直に受け取っておけ。妹にも伝えてやるよ、嬉しそうだったってな。
さてと……二つ目の懸案事項はどうするか……放課後の帰り道にでも言えばいいか。
今度また連れて来なさい、と母親から言われてるから家に来い……ってな。
とことん無自覚キョンで(笑) 古キョンです、これでも!(笑)
何かしらのきっかけで、距離感を自覚すればいいなと。恋愛感情はまだまだですな!(笑)
ところでこの古泉は、自覚ありですよ。
思いがけず距離を詰めてきたキョンに内心大焦りしてます、いろんな意味で。